金の歴史 通貨・装飾・そして権力の象徴
金・銀・ダイヤの価値と取引|第1回
キラキラと輝く金色の金属。
これほどまでに、長い時代を越えて人々に愛され、求められ続けてきた材料は他にあるでしょうか。
「金(ゴールド)」と聞くと、宝石やジュエリー、あるいは金貨や金塊を思い浮かべる人も多いかもしれません。
でも実は、金の歴史は、もっともっと古く、そして深いものなのです。
今回はそんな「金」の物語をすこし昔へさかのぼってご紹介します。
古代文明の神殿から、王様の財宝、そして貨幣へとつながる「金」の旅路を、いっしょに見ていきましょう。
金はいつから価値を持ったの? 〜最古の宝物〜
金が人類に使用され始めたのは、今から5000年以上も前。
古代エジプトやメソポタミア、インダス文明などでは、すでに金が「特別なもの」として扱われていました。
当時の人々は、金を通貨としてではなく、神への捧げものや王族の装飾品として用いていました。
それもそのはず。金は自然のままでも美しく、錆びることがなく、まるで「永遠の命」を持った金属のように見えたのです。
古代エジプトでは、「金=神の肉」とまで信じられていました。
ツタンカーメン王の黄金のマスクは、その象徴ともいえる存在です。
補足:この時代に金を日常的に使えたのは、ごく一部の王族・神官・職人など限られた階級の人々でした。庶民は主に銅や穀物などで取引していたとされています。

通貨としての金 〜価値のカタチを変えて〜
金が「通貨」として使われるようになるのは、紀元前600年ごろ。
現在のトルコ西部にあったリディア王国では、世界で初めて「金と銀の混合貨幣(エレクトラム貨)」が作られました。
これは、一定の形・重さ・純度を持つことで、毎回重さを量らずに「何枚でいくら」と価値を保証する「貨幣」のはじまり。
人々は金を「価値の保存手段」や「交換の道具」として意識し始めたのです。
その後、ギリシャやローマ帝国、中国などでも金貨が登場し、
金は「美しいだけじゃない、信用できる通貨」として広がっていきました。
日本でも、江戸時代に「小判」と呼ばれる金貨が使われていましたよね。
これは金そのものの価値に加えて、「幕府の信用」が込められた「信頼の通貨」でもあったのです。
権力と金 王様と金庫の深い関係
金が価値を持ち、通貨として使われるようになると、それを「どれだけ持っているか」が力の象徴になっていきました。
金鉱山を支配した国は、そのまま富を手にし、
金貨を発行できる王は、その国の経済をコントロールできるようになったのです。
中世ヨーロッパでは、金塊を満載したスペインの「金輸送船」が大西洋を行き来していました。
その船を狙うのが、あの「海賊」たち。金は、戦争や略奪、そしてロマンのきっかけにもなったのです。
権力者にとって金とは、単なる装飾品や通貨ではなく、
「国を動かすエネルギー」そのものだったのかもしれません。

金はどうやって集められた?〜採掘の裏側〜
金は自然界にそれほど多く存在していません。だからこそ価値があり、人々はその採掘に情熱を注ぎました。
初期の金採掘は、川底の砂金をすくう「パンニング」など、原始的な方法でしたが、
やがて鉱山の掘削や水銀を使った精錬技術が発展し、多くの金が採れるようになりました。
ただし、水銀を使った精錬は効率的だった一方で、環境や人体への影響も大きく、金の歴史の「影」の一面ともいえるものでした。
16世紀の南米征服、19世紀のアメリカ・カリフォルニアの「ゴールドラッシュ」など、
「金を求めて人が動き、街が生まれ、国が変わる」という現象が何度も繰り返されてきました。

金は「物語を生み出す金属」だった
金は、ただの金属ではありませんでした。
神への祈り、権力の象徴、貨幣としての信頼、そして人々の夢と欲望を背負って、歴史を動かしてきたのです。
でも、やがて時代が変わり、金の役割も大きく変わっていきます。
金が世界のお金の「基準」となる時代が訪れ、やがてその役割は大きく変わっていきます。
次回は、金が世界のお金の「基準」となった「金本位制」と、その終わりについて見ていきましょう。