「物々交換」から「お金」ってどうやって生まれた?
お金の始まりと進化|第1回
このシリーズでは、普段なにげなく使っている「お金」がどんな道のりをたどって今の形になったのか、 そしてそれがどんな「価値の考え方」と結びついてきたのかを、ゆるっと楽しくひも解いていきます。
第1回のテーマは、「そもそもお金って、どうして必要になったの?」というお話です。
人類最初の経済システムは「物々交換」
お金のない時代、人はどのようにモノを手に入れていたのか?
その答えは、「物々交換」です。
これは考古学的には、農耕が始まった紀元前1万年〜8000年頃の新石器時代からとされていて、 自分が作った作物や道具を他の人が持つものと交換するというのが一般的でした。
たとえば…
「米をあげるから、布ちょうだい」
「陶器3つと、干し肉5日分」
などのやり取り。 しかし、物々交換は便利そうに見えて、実際は多くの問題を抱えていたのです。

物々交換がうまくいかなかった理由
【1】ニーズの一致が必要(欲望の二重の一致問題)
自分が欲しいモノを持っている人が、たまたま自分のモノを欲しがっているとは限りません。 相手が欲しいモノを探し回る手間が発生してしまうのです。
【2】価値の基準がバラバラ
「羊1頭=小麦20袋」は妥当なの? 傷んでない?大きさは?保存は?
価値を測る基準がないと交渉も難航します。
【3】未来のやり取りが不安定
「今は魚がないけど、3日後に渡すね」のようなやり取りは、相手を信用しないと成立しません。 信用が制度化されていない時代ではトラブルの元でした。
「お金の原型」が登場!
こうした課題を解決するために、人類は「交換の仲介役」を考え出しました。
それが『お金』です。ただし最初は、現在のような紙幣やコインではありません。
地域によって「お金」として使われたモノは実にさまざまでした。
✅メソポタミア(紀元前3000年頃)
銀のかけら(秤量銀/重さを量って取引する銀)を使って取引。まだ“貨幣”とは言えませんが、 価値のある物質を仲介にする発想が登場します。
✅中国(紀元前1200年頃〜)
「宝貝(カウリーシェル)」が貨幣として使われ、のちに「刀銭」「布銭」と呼ばれる青銅製の貨幣に発展。 ここでは「貨幣を鋳造する=権力者の証」という意味合いも出てきます。
✅アフリカ
塩、ビーズ、鉄器、布など。特に塩は「白い金」とも呼ばれ、非常に貴重でした。
✅ミクロネシア・ヤップ島の“タリ石”
外周が数メートルもある巨大な石が通貨として使われていました。
物理的に動かさず、「誰の石か」をみんなが覚えておくという仕組み。
現代のブロックチェーン的な思想に近いとも言われています。

では、日本ではどうだったの?
実は、日本に「貨幣」が登場するのは、かなり後のことになります。
🌾弥生〜古墳時代(紀元前300年〜7世紀頃)
この時代、日本では「米」や「布」、「鉄器」などが実物貨幣として使われていました。
とくに米は、後の時代にも「年貢」や「俸禄(武士の給与)」として使われ、
経済・身分・権力の象徴として機能していました。
💴 和同開珎の登場(708年)
飛鳥時代、国家によって鋳造された日本最古の貨幣「和同開珎」が誕生。
中国・唐の制度をモデルにした試みでしたが、実際には流通は限定的で、 その後もしばらくは物納(モノでの支払い)の文化が主流となります。
🏯 江戸時代
江戸時代には「石高制」が導入され、「1石=米150kg=成人男性の年間消費量」が価値の基準に。 つまり、「お金」よりも「米」に信用があった時代だったのです。
価値って、誰が決めるの?
地域や時代によって、さまざまなモノが「お金」として使われてきました。 共通していたのは、次の3つの性質です。
- 持ち運べる(携帯性)
- 長期保存できる(耐久性)
- みんなが価値を信じている(社会的合意)
つまり「お金」とは、そのモノ自体が持つ価値だけでなく、 人々が「信じている」ことによって成り立つものなんですね。
次回は「金属のお金」が世界を変える!
次回は「金属貨幣の誕生」について。
紀元前7世紀、現在のトルコにあったリディア王国で、 “刻印入りの金属貨幣”が世界で初めて登場します。
一方、中国でも独自に青銅貨が発達。 東西それぞれで「貨幣の進化」が起きていたんです。
なぜ金や銀は「価値がある」とされてきたのか? その理由と背景を、次回深掘りしていきます!